2017年4月17日月曜日

勾留理由開示公判での Dさんの意見陳述

「 親愛なる仲間のみなさんへ! 今日は来てくれて本当にありがとうございます。

 3月27日に逮捕されてから、取り調べに対しては拒否をしています。一通の調書も取らせていません。
 4月1日からメシの仕出しの業者が変わったようで「こっちの方がおいしいね」等と同房の人と言い合いながら、三食昼寝付き、そこそこやっていけてます。

 が、しかし楽しい事ばかりではありません。渋谷署留置係の奴らは、すぐ「バカ」とか「アホ」とかいって怒鳴ってきます。です・ます調でしゃべりかけないだけで「テメーなめてんのか」とかいって、怒鳴ってきます。3、4人で取り囲み、抵抗しようものなら、捻り上げようとしてきます。反論しようものなら怒鳴りまくしたてられ、会話になんかなりません。こいつらがよくいっているのが、「てめー、ここをどこだと思ってんだ」です。

 部屋は40人位収容されているのですが、中には場内で判決を迎える人もいるようです。起訴後も場内に留め置かれている人がたくさんいて、拘置所の様に裁判への防御権が未確立である警察留置場の中で、特高警察のような奴らに日々怒鳴られながら、自白を強要されるのが渋谷署の現状だと思います。みな口を揃えて「渋谷はひどい」「全国ワースト1だ」と言います。例えば、ボールペン使用時には書籍が取り上げられます。理由はよく分からないですが、いま述べているような公判での意見の作成のために、救援ノートを読みながら書き物をしたいと申し出ても、有無を言わさず、ペンか本の選択を迫られます(獄中・獄外からの訴えにより、救援ノートだけは認められました)。

 そんな不利な状態なので、東京拘置所に移りたいと何回も申し出ている人が、起訴後何ヶ月も渋谷署留置に留め置かれています。まるで、上っ面だけきらびやかな渋谷の街から捧げられた生贄のようです。この国の司法は全くもって不当です。渋谷署の看守による「お前は自弁なしだ」とか「弁護士なんて呼ばねーよ、バーカ」等々、けたたましい罵倒とともに、物の取り上げも凄まじいです。同じ房の人は、毛布をしまう時に少しだけ向きを間違えただけで、その日の晩、布団を取り上げられてしまいました。少し離れた房の人は、来て一泊目なので、毛布のたたみ方を間違えてしまったらしく、布団取り上げの措置に対して「悪気は無かった」「あんまりだ。新宿署でもこんなことはしない」等と訴えたところ、その人は房から引きずり出され、「説教部屋」のようなところでさんざん罵声を浴びせられていました。あまりにも理不尽です。

 私自身も、逮捕の日の夜から、ささいな事で靴下を取り上げられていて、今の今まで使用を禁じられていますし、ささいな事で場内で貸し出される官本の貸し出しが停止されました。渋谷署留置では、看守に苦情を申し出るや、寝込みに毛布を取り上げられ、その上房から引きずり出し怒鳴りまくしたてられ、挑発を加えられ、さらに苦情を申し立てようものなら「保護室」に収容され、懲罰を加えられるという、刑事収容法が守られない、看守による制圧がまかり通っています。

 今年度、渋谷区土木部公園課の連中は、数百万円かけて、宮下公園の再開発を念頭にニューヨークの「犯罪抑制公園」を視察する旅行に行く計画を立てています。渋谷署では常に多くの若者が犯罪者へと追い込まれていき、街の公園・宮下公園では野宿の仲間や越冬実の行いを不法な行いとしてだまし討ち全面封鎖を強行する。渋谷区、渋谷署が結託して、排除の対象とするのは、野宿の仲間しかり、非正規の不安定な雇用を強いられているという共通の背景を抱えている労働者であるということを考えたら、この排除の問題は、個別の個人的な問題ではなく、資本主義の制度の問題であるということが分かります。賃金労働者のうちの、失業者や失業と隣り合わせにある非正規の労働者を、使い捨てできる、汲めどもつきぬ貯水池とし、条件の悪い仕事であっても契約をさせるために、「警察には捕まりたくなかろう」「アオカンはしたくなかろう」と刃を突き付けられるのがそれです。野宿の仲間を差別し、排除をして、その上にショッピングモールを建て、差別を消費欲で塗り隠そうとする独占資本・三井の企みを、私たち労働者は正規・非正規の違い、就業・失業の違い、生活水準の違いを超えて連帯することによって、必ずやうち砕くことができると私は信じています。

 闘いはこれからです。ともにがんばりましょう。
 Eさんにもよろしくお伝えください。
 どうも有難うございました! 」